2025.02.03
Basecamp(旧称37signals)
はじめに
ソリッドベンチャーとは、創業期から収益を着実に生み出しつつ、新規事業や追加投資に踏み切る際も自己資本や堅実なファイナンス戦略を用いる企業を指します。急ピッチなJカーブを描くスタートアップとは異なり、“キャッシュカウ(稼ぐ本業)”を基盤に、持続可能な形で成長するアプローチが特徴です。
アメリカ発のBasecamp(旧称37signals)はまさにその好例といえるでしょう。大規模なVC調達に頼らず、自社のプロダクトと企業文化を武器に堅実な成長を続けています。本稿では、以下のポイントを整理しながらBasecampを紐解きます。
0. 会社情報
- 会社名: Basecamp(旧称37signals)
- URL: https://basecamp.com/
- 代表者名: ジェイソン・フリード(Jason Fried)
- 共同創業者: カルロス・セグラ(Carlos Segura)、アーネスト・キム(Ernest Kim)
- もう1人の共同経営者: デイビッド・ハイネマイヤー・ハンソン(David Heinemeier Hansson)
- Ruby on Rails の開発者でもある
Basecampは北米を中心にグローバルで利用されているプロジェクト管理ソフトを主力とし、VC投資による急成長ではなく、“自社で生み出す収益”をもとに新規プロダクト開発や組織拡大を進めてきたことで知られています。
1-1. 創業当初の事業モデル
Basecampの起源は1999年に創業されたウェブデザインのコンサルティング会社「37signals」です。ジェイソン・フリードら創業陣は、当初クライアント向けにカスタムウェブサイトの設計・開発を提供し、それが主要な収益源でした。顧客は中小企業からウェブサービスを展開する企業までさまざまで、いわゆる“受託ビジネス”が初期の収益構造でした。
- 創業当初の特徴
- ウェブデザインやユーザーエクスペリエンス(UX)領域に強み
- 受託案件で堅実に売上を確保
- シリコンバレー的なスタートアップではなく、シカゴ拠点で独自色
1-2. 創業者のバックグラウンド
- ジェイソン・フリード (Jason Fried)
1974年生まれ、大学時代からデザイン・フリーランス活動を行っていた。25歳で37signalsを創業し、ユーザー体験を重視したウェブデザイン力を武器に顧客を拡大。 - カルロス・セグラ (Carlos Segura)
デザイナー・アートディレクターとしてキャリアを積んでおり、創業初期からデザイン面をリード。 - アーネスト・キム (Ernest Kim)
創業当初に重要な役割を果たした共同創業者。のちに離脱。 - デイビッド・ハイネマイヤー・ハンソン (DHH)
創業直後に参画し、プログラマーとしてBasecampの根幹を支えた。Ruby on Railsの開発者として世界的に著名。
総じて「デザイン×開発×ユーザー体験」というマルチスキルの組み合わせが、後のBasecampプロダクト誕生を後押しした格好です。
2. 成長戦略と資金調達の有無
2-1. ウェブデザイン事業からソフトウェア開発への転換
37signalsは当初、クライアントワークの受託で収益を上げていましたが、内部で使う“プロジェクト管理ツール”を開発したところ大変好評を得たのが転機でした。そのツールこそが後に正式リリースされる「Basecamp」。
クライアントとのやりとりを効率化するための“自家用ソフト”だったものを外部に公開したところ、「シンプルでわかりやすい!」と多くのユーザーが飛びつきます。
- Basecamp誕生ストーリー
- 受託案件が増えてコミュニケーションが複雑化
- 簡易な連絡・ファイル共有・進捗管理を一体化したツールを社内開発
- 2004年に「Basecamp」正式リリース
- 月額制のSaaSモデルを採用し、堅実なサブスク収益を確立
37signalsはこのBasecampの成功によって、ウェブデザイン会社からソフトウェアベンダーへのシフトを決断します。受託案件による利益を“キャッシュカウ”として、Basecampの開発・運用へ再投資する形で成長を遂げるのが彼らのスタイルでした。
2-2. 自社資金 vs. 外部資金
Basecamp(37signals)は一貫して外部VCからの大きな資金調達をほぼ行っていません。それどころか、シリコンバレー型スタートアップとは対照的に、会社の拡大スピードをあえて緩やかにし、“社員を大事に、プロダクトを大事にする”アプローチを採っています。
- 収益再投資
- Basecamp発売後、ユーザー課金による安定した月額収益が大きく伸び、そこからの利益を新プロダクトに投下
- CRMツール「Highrise」など派生ソフトを続々開発
- 外部資金調達の動き
- かつてベゾス・エクスペディション(ジェフ・ベゾス個人投資ファンド)から少額の出資を受けた歴史があるとされるが、大規模VC投資とは一線を画す
- 大企業との資本提携やM&Aで巨大化する道を避け、あくまで小さめの組織で高収益を出す方針
このようにBasecampは、初期の受託業務が生み出す利益と、Basecampの月額課金(サブスク)から得る安定収益の2本柱によって社内にキャッシュを回し、外部調達を大々的にせずに成長するモデルを取っています。
3. 事業の多角化や新規事業の開発
3-1. 本業からの新規事業
Basecamp自体が“副産物”として生まれた製品だと言えるわけですが、その後もユーザーのニーズをもとに新たなツールを開発しています。
- Highrise (CRMツール)
- シンプルなコンタクト管理+メール追跡ツール
- 一定の成功を収めたが、後にサポート終了
- Campfire (チャットツール)
- Slackに近いサービス概念。Basecampの一機能として吸収統合された時期もある
- Slackに近いサービス概念。Basecampの一機能として吸収統合された時期もある
- Ruby on Rails
- 独自フレームワークとしてDHHが開発。Basecampの開発過程で生まれたが、OSSとして公開され世界的に普及
これらの新規事業は、本業のソフトウェア開発能力・既存ユーザー基盤を活かしてローンチされ、強いマーケティング投資をせずとも一定のユーザーを獲得。失敗事例もありますが、成功したものは堅実に収益を生みました。
3-2. 多角化の成功要因
- 使い手視点の徹底
- 自分たちが必要とする機能を、まず自分たちで作って試す
- 開発スピードよりも“ユーザーが心地よいシンプルなUI”を優先
- 小さくリリースしてテスト
- 必要であれば削ぎ落とすという「小さく生んで大きく育てる」スタイル
- 必要であれば削ぎ落とすという「小さく生んで大きく育てる」スタイル
- 顧客コミュニティとの対話
- 公式ブログ「Signal v. Noise」などで開発プロセスや思想をオープンに
- ユーザーの反応をダイレクトに取り入れる文化
これらはソリッドベンチャーが新規事業を興すうえで大きな示唆を与えます。“メガ調達”に走らず、既存ユーザーとの繋がりを活かしながら、少しずつ開発を進めるのです。
4. 市場・地域
4-1. 市場選定
Basecampは「中小企業・リモートワークのプロジェクト管理」に特化しつつ、あまり多機能にしすぎないコンセプトを維持しています。高機能を求める大企業向けエンタープライズ市場ではなく、あくまで「小〜中規模チームが気軽に使えるSaaS」をゴールに据えました。そのため、「たくさんの機能を詰め込む競合」とは別路線で差別化に成功しています。
- プロダクトの革新性
- シンプル・直感的なUI
- ユーザーのワークロードを減らす設計
- 文化的要素
- 24時間働くのではなく、生産性を重視して短時間で成果を出す
- ブログや出版物(『Rework』など)で「ゆるやかな成長」「ノイズ削減」などユニークな思想を発信
4-2. 地域展開
本社はシカゴにあるものの、リモート文化が強い企業です。実際、エンジニアやサポートスタッフは世界中に散らばって働いています。そのため、北米だけでなくヨーロッパやアジアのユーザーにも対応可能な運営体制を取ってきました。
一方、大々的な海外拠点展開をしているわけではなく、海外のユーザーにはオンライン経由で販売+サポートを行うのが基本です。これはSaaSならではの軽いビジネスモデルと言えるでしょう。
5. 失敗事例や課題
ソリッドベンチャーといえど、Basecampにも失敗や課題がありました。そのいくつかを見ていきます。
5-1. Highriseの撤退
CRMツール「Highrise」は一時期好評を博しましたが、他社CRM(SalesforceやHubSpotなど)との比較で機能不足が指摘され、市場シェア争いに遅れを取りました。最終的にサポート終了を余儀なくされ、分社化・売却も検討されました。
- 学び: プロジェクト管理と同じ感覚でシンプルに作っても、CRM領域では“機能の充実”が評価されがち。ターゲット顧客のニーズが異なれば、同じ「シンプル戦略」でもうまくいかないリスクがある。
5-2. 社内文化の大規模論争(2021年)
2021年春、Basecampで「職場で政治や社会問題の議論を禁止する」というポリシーが導入され、多くの従業員が反発して離職する事態が起こりました。
Basecampはこれまで「従業員にとっての働きやすさ」を重視してきた企業イメージがありましたが、この一連の騒動で経営陣と社員の価値観のズレが露呈。内部の文化的亀裂が話題を呼びました。
- 学び: 多様性や社会的議題への向き合い方において、「政治的議論は排除する」という方向は簡単には受け入れられない。企業文化を強みにするなら、その維持・進化に慎重な対話が欠かせない。
5-3. 新規製品の撤退や機能不十分
Highrise以外にも、Campfire単独版やその他ツールが期待ほど成長せず終了した例があります。これは社内に大規模投資のリソースがない(VC資金を入れない)環境で、複数製品を並行して育てることの難しさが露呈したともいえます。
- 学び: 小さな組織ならではのスピード感やシンプル思考はメリットだが、複数のプロダクト展開を同時進行するにはリソースが限られる。
5-4. 成長速度への制約
自己資本経営ゆえの堅実性は、競合が大型資金を調達して一気に市場を席巻するような局面では不利になり得ます。ただしBasecampの場合、ハイエンド市場で“シェアを取り合う”よりも、自社の好きなペースで長寿ビジネスを継続していく道を選んでいるため、そこを課題視していない面もあるでしょう。
Basecampにみるソリッドベンチャーの本質
以上のポイントを踏まえると、Basecampが示す海外ソリッドベンチャーの特徴は以下に集約されます。
- 受託業務が初期キャッシュカウ
- ウェブデザイン・コンサルで得た資金を、ソフトウェア開発(Basecamp)に再投資
- 第1プロダクトが軌道に乗った後は、さらにそのサブスク収益を新規事業へ回す
- VCに依存しない小さな組織
- 外部資金を大きく入れず、創業メンバーの意思決定を最優先
- 成長速度はゆるやかだが、利益率を確保しつつ倒産リスクを抑える
- シンプルさと独自文化の徹底
- プロダクト機能を必要最低限に絞り、“UXの良さ”で差別化
- 社内文化も“従業員を酷使しない”“ノイズ排除”など、他社と異なるユニークさを追求
- 失敗事例を許容し、撤退を迅速に
- Highriseの撤退やCampfireの統合など、うまくいかない製品は素早く方針転換
- 大規模投資がなされていない分、失敗の影響も比較的限定的
- 市場競合より自社のペースを優先
- 「競合をどう倒すか」より、「自社が楽しく・サステナブルに事業を続ける」ことを重視
- これにより一部ユーザーには圧倒的な支持を得る反面、エンタープライズ領域では物足りないと評価される
このアプローチは、シリコンバレーで資金を集めてスケールを目指す典型的スタートアップとは真逆ともいえます。しかし数十年にわたりBasecampは高収益体質を維持し、幾度かの失敗や社内トラブルを乗り越えながらも、企業としての継続性を損なっていません。
Basecamp(旧37signals)の歩みは、受託ビジネスをベースとしたキャッシュ創出→自前資金で新規事業へ展開→不要になった事業から撤退という流れを繰り返しており、まさにソリッドベンチャーの特徴を体現しています。大きなVC調達や急激な拡大に乗ることはなく、スモールビジネスからソフトウェアSaaSへのスライドを成功させた例として世界的に有名です。
一方、独特の企業文化は常に順調なわけではなく、2021年の組織トラブルや新製品撤退の事例からは、ソリッドベンチャーも決して“失敗とは無縁”ではないと分かります。しかし、それらのトラブルを経てもなおブランド価値を保ち、ユーザーコミュニティが離れないのは「自社の軸をブレさせない」姿勢ゆえでしょう。
まとめると、Basecampの事例は「小さく産んで大きく育てる」「持続可能な利益体質を重視」「自社文化とユーザー体験を最優先」という海外ソリッドベンチャーならではの魅力を存分に映し出しています。
日本でも同様に、大規模資金調達に振り回されない持続的ビジネスを志向する中小企業が増えるなか、Basecampの歩みは大きな示唆を与えてくれる存在と言えるでしょう。
参考URL
リサーチ担当: 安藤奨馬 | シード特化VC 「TRUST SMITH & CAPITAL」代表 @shocolt